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●ことばあそび●

歌を詠んでいます。
この夏が訪れてから。

と言っても、
五、七、五、七、七
それ以外何の知識もない中での拙すぎるものですが。

子供の頃から文章を書くことが好きでした。
国語の時間だけのために学校に行っていたような、そんなお子さまで。

だけど、哀しいかな
国語の点を取る文章力、言葉遣い、そんなものは得られたものの
素直な心、
それを自分なりの言葉で表現すること
いわば、感性に沿った言葉、というものが全く浮かばないのです(涙

それに気付いたのって
去年あたりかしら、、、(遅ッ

読書も同じ。
いかに感想文をうまく書くか、的な読み方しか学んでなくて。

この春に自分と向き合う時間が出来た時に本を読み漁り。
坂口安吾とか、宇野千代とか、宮沢賢治とか。
村上春樹とか村上春樹とか、、春樹とか、、、、w

春樹ワールドの何が好きって、
きっと自分の心にぐるぐる回っている、
でも言葉に出来ない何かを彼がもろに代弁してくれてた、から。
そして、あんな説明のつかない、自分の頭だけにあると思っていた世界観を
言葉にできる彼が羨ましくて羨ましくて。

ワタシも言葉にしたい、そう思った。。。

旅に出たり、恋をしたり
ちょっと非日常な毎日もだけど
起きて、食べて、お風呂入って、寝て
そんな単調な日常でも常に何かを感じて。

だけど、その感じたものたちの殆どは誰かに伝えられることもなく
フワフワと浮いて
次の瞬間には消えてしまう。

そんなものたちの行き場を作ってあげたい。

ぼんやりとした、だけど私の中に確かにあった
その感覚を形にしたい。

単なる自己満足に過ぎないのだけれど。

その手段の一つとしての
歌。短歌。

とりとめのない想いをたった31文字で表すことの難しさ。
それには言葉の引き出しという知識の部分は言うまでもなく
もっともっと鋭い感性のアンテナが必要。


七月からたらたらと続けていますが
全然進歩しませんw
どのシーンもどの想いも鮮やかなのに言葉にならずもやもやが募ります。
マニュアル響にとってはかなり高いハードルの様。
日々精進あるのみかしら。


いつまで続くか分かりませんが(続けると断言できないワタクシメをお許し下さいな)


きっとこうやって言葉を紡ぎ出す訓練をする中で
目に見える色も見えない色も
鮮やかに映るようになるに違いなく。

それって素敵なことだと思うのです。


そんな響の独り言
見つけた時は素通りして下さい(懇願。。。ほんとはかなり恥ずかしいんですものw)





ひとときの想いはしゃぼんの玉に似て弾けてしまえば元の青空

# by tamayura_2006 | 2006-08-31 05:38 |

●なつのおもいで●

まだまだ扇風機もエアコンも大活躍だけれど
それでも八月が終わる=夏が終わる、そんなイメージ。


夏は好きな季節ではない。
どちらかというと、キライ。

いえ
ハッキリ言うと、キライ。

暑くて肌が痛くて汗でベトベトで寝苦しくて
食べ物の保存はきかないし
キッチンは暑いし。
除菌や消臭にやたらと気を遣うし。

なのに

ワタシにとってかけがえのない季節になる。
終わってみるといつも。
何故だか。


前に何処かで吐いたような言い回しだけれど
夏はヴィヴィッド。
鮮やかすぎるのです。何もかもが。
目に見えるものも、目に見えない何かも。

そして
あまりにも鮮やかなその季節の出来事は
鮮やかすぎるが故にどこか切なくて
夏の終わりと共に幕を閉じる物語のようで。


2006年
ワタシが足を踏み入れた夏は
とりわけ、その色が濃かった気がします。

そう言えば
去年の夏、どこかで
“今年の夏はひときわ切ない”
みたいなことを言ってたっけ。。。w

ただ、
去年は身を委ねていた日常の中で
いろんなことに気付いた夏
いろんなことを知ってしまった夏

そんな季節だったけれど

今年は身を委ねていた日常から離れて
自分自身を歩かせた夏
新しい日常が始まった夏

考えてみれば海にも行ってないし花火もしてないし
風鈴も出してないし、かき氷も素麺も食べてない。
ビアガーデンにすら行ってないw
極めてインドアな
夏を感じたかと言えば微妙なくらい、
そんな夏だったのだけれど

右も左も分からない環境の中で
感じる寂しささえも力になると思えた程に
とても恵まれた季節を
神様はワタシのもとへ届けてくれました。

そう、新しい環境。
今までの環境からの逃亡。
大それた決断。

ちょっとしたチャレンジ。

そして
これから訪れる季節。

世界が変わっても季節が変わっても
私は私、
でもね
人は変わるのだと思う。
正確に言えば、変わり得る、のだと思う。
自分自身が求めれば。

その変化が楽しみで仕方ないのです、今は。

パタンとドアが閉まって元通りの世界に連れ戻されるんじゃなくて
パタンとドアが閉まったならば、次のドアを開けることができる。

きっとね。

そんなことを教えてくれた2006年の夏。
大殺界がなんだ☆
厄年がなんだ☆

じたばたしないで流れに身を任せてやる!



って数子の言いなり、、、、だしw



顎上げて涼風運びし扇風機 首の角度とふたりの距離と

「夏は嫌いだけど向日葵は好き」いま私もそう言いたかった
    
# by tamayura_2006 | 2006-08-30 08:00 |

●たまゆら●

玉響〜たまゆら〜

「かすかな」「あるかないか」「ほんの少しの間」「はかない」

そんな意味を持つこの言葉は
翡翠や瑠璃などの美しい宝玉が触れ合ってかすかに音をたてる
そんな様から来ているそうです。

季節の彩りにしても
空の色にしても
草木の香りにしても
日本語には言葉と共に空気を感じることができる何かがあって。

この“たまゆら”なんてたまらなく好きな言葉です。
消え入りそうな様子を醸し出すそこには少し切なさを感じるけれど。

私達の日々の中にも
聞こえるか聞こえないか
そんなかすかな音が響いているような気がします。

あるときは人が発する声であったり
あるときは風のそよぐ音であったり
あるときは何処か遠くで響くサイレンであったり

そして
あるときは自分の中に響く心の声であったり。

そんなかすかな、次の瞬間にはどこかに吸い込まれてしまうような
だけど確かに日々に溢れている音を

あっという間に過ぎて行く
だけど確かにそこにあった一瞬一瞬の出来事を

わたしなりの言葉に変えて
ここに残して行けたら

そう思ってこのブログを綴って行くことにしました。

とかって
お上品に書いちゃいましたが
要はわたくし、響の独り言日記ですw

なにはともあれ
三日坊主で終わりませんように(笑)




明日が来れば泡となりにし世界でも構わぬこの手が握るはうつつ   

# by tamayura_2006 | 2006-08-29 04:36 |